自立しているいのち
生きている自分にとっていのちより大切なものがあるだろうか。
一番大切なものなのに、医者に丸投げしてはいないだろうか。
熱が出るとすぐに風邪だと怯える人がいる。
その熱は必要があってカラダが出しているもの。
いのちを守る働きとして発動された熱に怯えるというのは実はまるでコメディなんだけど、そんなことをしてはいないだろうか。
もし怯えているとしたら、あなたは今まで一度も自分のカラダの変動を丁寧に感じ、観察をしたことがないということだ。
もしくはあなたの頭は自分には何もチカラが備わっていないと思い込んでいるのかもしれない。
いのちの営みの大部分は無意運動が行っている。
消化機能や血液を循環させたり、免疫機能など意識運動が関わっている機能はほとんどない。
それなのにひとたび変動が起こると、なぜか無意運動に働きかけるのではなく、外からなんとかしようと躍起になる。
世の中は意識でなんとかしようとする知識の情報で溢れかえっている。
師匠の野口晴哉が発見したことは、頭の中から〇〇すべし、〇〇すべからずという、べし・べからずがなくなり自由になれば目が輝いてくるというシンプルな事実だった。
自発的な要求にしたがって生きだすといのちが輝いてくる。
それは「気」が充実してくるということでもあり、勢いが出てくるということでもある。
実際に「気」や触れることによって感じとった背骨や「処」の弾力から観た心身は、使い方(職業的な偏り疲労・眼精疲労・食べ過ぎ・冷え・乾きetc)、打撲(心の打撲も含め)などに起因するものがほとんどなのではないかという実感がある。
息深くして、心静まれば、変動は自然と経過できる。
こういったことを知識として鵜呑みにせずに、実際に整体指導や活元運動を通じてご自身の体験を通じて確かめて欲しいと思っています。
「溌溂と生くる者のみに深い眠りがある。
生ききった者にだけ安らかな死がある」 野口晴哉